【 2008年4月 】アーカイブ

2008年4月 9日

平成20年度入学式を終えて…4年A組担任 吉田隆

4月6日(月)、「檜田嘉明」新校長をお迎えした『新生近大福山』は、中高合同の入学式であった。
 外はあいにくの雨であったが、前日満開になった桜の花が必死になって花びらを散らせまいとじっと我慢しているように見受けられた。
 会場の体育館内での新入生の顔は、これから始まる学校生活に対する不安と期待が入り混じった緊張感に包まれていた。
 また、3年ぶりに高校の新入生の担任をさせていただくことになった私も、身の引き締まる思いでした。
 最初のHRでは「お互いがんばろう!」と保護者の前で宣言いたしました。
 
DSCF4153.JPG
DSCF4171.JPG
DSCF4689.JPG
DSCF4308.JPG
2008年4月 8日

1学期始業式 校長訓話

  真摯に学び,パーソナリティーを成熟させよう

 

 皆さんお早うございます。いよいよ新年度が始まりましたね。皆さんとは初めての顔合わせでもありますから、今日は本校の校訓に触発されながら、私が日頃大切にすべきであると考えていることについて述べておこうと思います。

 人生は選択と決断の連続です。人生においては,一攫千金を狙って賭のような人生選択でラッキーチャンスを掴む生き方よりも,血と汗と涙が支払われていて,人事を尽くして天命を待つような心境での人生選択をする生き方を大切にすべきであると思います。

 人生においては,「ラッキー!」と肉声をもって喜ぶような偶発的な選択がよくできることではなくて,むしろ,「ハッピー!」と静かに噛み締める,自らの努力のあとが滲んでいる,そんな必然的な選択をよくすることのほうが,より一層大切だと考えています。

 また,なぜ?という問いは、答えよりも大切であると考えています。なぜでしょう?

 気付いたかも知れませんが,これらの考え方の基本には,人類にとっては問うこと、考えることが真骨頂であり,ヒトはホモ・サピエンス(叡知ある人)という学名に示されるように,その本質は理性にあるとする人間観があります。

 歴史に名を残すような人達は,例外なく鋭い感性の持ち主です。例えばニュートンもその一人です。ニュートンは「私が誰よりも遠くを見ることができたとするならば,それは何としても巨人達の肩の上に立ったからである」という有名な言葉を残しています。

 ニュートンがいう巨人達とは,コペルニクスやガリレイ,ケプラー等を指していると思われます。ニュートンのこの言葉と,「落ちるリンゴ」をみて万有引力の法則を導いた事実とを考え合わせるとき,興味深いことに気付きます。

 数々の偉業は,先人達の知恵の積み重ねなくしては,あり得ないこと。また,誰もが「当たり前のできごと」,「常識的事実」とみなして,不思議にも思わないその「当たり前のこと」を疑うという,並はずれた鋭い感性が,結局は「考える力」を生み出しているということ。等々です。

 ‘問う’‘考える’という理性のエネルギー源は感性にあります。また,鋭い感性は先人の知恵を深く学ぶことによって,さらに一層,研ぎ澄まされてゆきます。

 なぜ?と問うことこそが人に考えることをさせますし,未知なることを理解したいという,知的な欲求を持続させる大きなパワーを生み出します。また,なぜ?と問うことによって,私達は人生を豊かに開花させるエネルギーや知恵を手に入れるチャンスを得ることもできるのです。

 皆さんには,自らが「問い」,自らが「考え」,自らが「答え」てゆくことができるように,書物から,先人の経験や知恵から,世の出来事から真摯に学び続けてほしいと願っていますが,実は,自らが「問い」,自らが「考え」,自らが「答え」てゆくことは,とりもなおさず,人間らしい人間として生きてゆく姿を創るということなのです。

 人間らしい人間とは,知,情,意のバランスのとれた人のことを言います。人格や識見に優れていて,あらゆることを明らかに見極められる人のことであると,言っても良いでしょう。

 本校の教育目標は『知・徳・体の調和のとれた全人教育をすすめ,国際社会で信頼と尊敬を得る人材の育成を目指す』とされていますが,まさにこの教育目標を達成することが人間らしい人間を育てる営みであると言えます。

 しかし,何の努力もなしに,いきなり完成された人間になれるはずもありません。大切なことは,心豊かな日常の中にあって,自らの行動の責任は自分がとり,周囲との調和がとれた生き方ができる人間になる努力をすることです。

 幕末の志士で長州藩士,思想家として,また,教育者として有名な吉田松陰を皆さんは知っていると思います。下田で黒船に乗り込もうとして失敗し,自首して投獄され,29歳で刑死しています。彼が松下村塾で教えることができたのは,僅か2年10ヶ月の間でしたが,この間に92人の塾生を教えています。松陰が営んだ萩の小さな私塾からは,伊藤博文や山県有朋など,志半ばで刑死した松陰の志を継いだ幕末維新の人材が多く輩出しています。

 松陰自身は軍学に優れ,江戸に遊学して佐久間象山に洋学を学ぶなど,一生懸命に学問に打ち込んだ人であり,その読書量も半端ではありませんでした。このように学問大事の松陰でしたが,当時の常識からすれば考えられないほどに徹底した平等主義と個性尊重の教育理念を持っていました。今,獄につながれている人々を含め,全ての人間には長所や利点があり,否定されるべき人間などどこにもいないというのが彼の考え方でした。

 人間一人一人をかけがえのない存在として受け入れる松陰を慕って,塾の門をたたく人も増えてゆきました。入塾を希望する人に松陰は必ず聞いています。「何のためにやってきたのか?」。答えが「偉くなりたい」とか,「学問を身につけたい」であれば,「そのような者はここには必要ない」と一喝し,追い返したそうです。

 学問をもって何をしようとするのか,どういう人間になりたいのか,松陰はこの事を塾生に求め続けました。何のために生きているのか。何を目的に人生を歩むのかという事が大事であって,勉強できるできないは次のことだという発想です。

 松陰は塾生の天賦の個性に合わせてテキストを与え,臨機応変な指導を徹底して行いました。講義,会読,個人別読,討論会は当然のこと,米つきをしながらとか,草取りをしながらの講釈もあったようです。感性に働きかけ,個性を大切にするという塾の気風の中から,日本のニューリーダー達が育っていきました。

 塾生達は「人が踏み行うべき人の道について」広く深く考え,自らの感性に一層の磨きをかけながら,自分自身のパーソナリティーを豊かに成熟させてゆきました。

 本校には校訓「人に愛される人,信頼される人,尊敬される人になろう」が定められています。

 これからの社会は道義の退廃や礼節の希薄化が寄り添うような,先行き不透明な状況となることでしょう。皆さんの人生を決定するのは当然,皆さん自身の意志によります。そのような社会の中を顔を上げ,背筋を伸ばし,凛として生き抜いてゆくために,皆さんには是非,本校の校訓を初心に立ち返って咀嚼し反芻し,じっくりと味わい直してほしいと願っています。

 人に真に愛される人間とは?,信頼される人間とは?,尊敬を得ることができる人間とは?さて,どのような生き方をしている人間なのだろうか?。

 折に触れ,噛み締め直し,真摯に考え抜くことによって自分色の納得を得てください。その納得こそ,これからを生きる皆さんの「人生を照らす確かな灯火,生き抜くための鋭い叡智」になると,確信しています。

 今年度もいよいよスタートです。「本校に学んで良かった」と本心から思えるように「日々,完全燃焼」の学園生活を送りましょう。

 終わります。

 



アーカイブ

  • rss1.0
  • rss2