【 2008年5月 】アーカイブ

2008年5月24日

進研マーク対策特別教科補習!

高校三年生は来週の5/26(月)・27(火)に
「進研総合学力マーク模試」を受験します。

体育祭→中間試験→模試

と大変あわただしい日々が続いていますが、そこは受験生。
ここでくじけているわけにはいきません!(>_<)

 

高3生にとって、この模試は今後の志望校を考える上で重要なデータとなるだけでなく、
校内的には近畿大学への学科試験免除入試(専願制)の基準の一つにもなる大切なものです。

 

なので、今までの模試とは重みが違う!! ということで、
これまでも意識付けだけでなく、ポイント学習や過去問演習などの対策を積み重ねてきたのですが、

いよいよ直前となる今日(5/24(土))は、特に補強が必要な
理科・社会に対する直前強化勉強会を行いました! 

 
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生徒休業日にも関わらず、多くの生徒が参加してくれました。

どの講座も熱気にあふれています!(>_<)

(邪魔にならないよう廊下からの撮影です)

 

自習.JPG
各教室も一日自習室として開放したのですが、講座が終わった後も残って学習する姿がたくさん見られました。中には天気が悪い中(あいにくの雨でした)、自習のためだけに来る生徒もいたほどです。

 

 

学年として模試に向けて気合いの入った一日でした。

さぁいよいよ本番です! がんばれ!高3生!!(^_^)v

 

 

 

 

2008年5月13日

5月朝礼 校長訓話

ヒトは人間を浴びて人間になる

 

 皆さんお早うございます。今日は「ヒトは人間を浴びて人間になる」というテーマで話してみようと思います。

 ここに、小学校6年生の「輝男」という男児が書いた詩があります。「かつお」という題がついていました。

   けさ、学校に来がけに、母と言いあいをした。

   ぼくは、どうにでもなれと、母をボロクソに言い負かしてやった。

   母が困っていた。

   そしたら、学校で、昼になって、母のいれてくれた弁当のふたをあけたら、

   ぼくの好きなかつおぶしが、パラパラとふりかけてあった。

   おいしそうに匂(にお)っていた。

   それを見たら、ぼくは、けさのことが思い出されて、後悔した。

   母は、いまごろ、さみしい心で、昼ごはん食べているだろうかと思うと、

   すまない心が、ぐいぐい込みあげてきた。

 私はこの詩を読んだとき、ニンマリしてしまいました。「輝男」君にとってはさぞ食べにくい弁当だったことでしょうね。「輝男」君は家に帰ってどんなふうにして、空の弁当箱をお母さんに渡すのでしょうか。

 素直で純真な心が余すところ無く表現されています。悪態の限りをつかれて途方に暮れる母親ですが、それでも我が子の弁当には、子どもの大好きな「かつお」を振りかける。母と子の情愛の細やかさ、瑞々しさが読む者の口元をほころばせます。

 「輝男」君はこの詩の中で3人の自分と出会っていますね。一人目の自分は「この詩の中に出てくるやんちゃな輝男君自身を冷静に遠望している「私という存在」。二人目の自分は、輝男君の全てを受け入れる母との深い絆で結ばれた「愛されている私」。三人目の自分は、母に悪態の限りをついて途方に暮れさせてしまったことを心底悔やんでいる「瑞々しい感性を持っている私」。

 お母さんという生身の人間がそこにいたからこそ、「輝男」君はこの3人の「私」をうまく溶かし併せて、自らのパーソナリティーを豊かに成熟させてゆくことができているようです。

 「ヒトは人間を浴びて人間になる」と言われるように、「生物としてのヒト」は人間から学ぶことによってはじめて、「社会生活を営むことのできる人間」へと、成熟してゆきます。

 1920年に、狼に育てられた女の子二人が発見され、保護されました。二人は「アマラ」と「カマラ」と名付けられました「アマラ」は間もなく死んでしまいましたが「カマラ」はその後9年間、人間社会で生活しましたが、速く走らなければならない時には、地面に両手をつきながら四つ足で走るなど、その生活ぶりはまるで狼のようだったそうです。

 人間社会で生きてゆくためには、その社会の構成員同士が互いにうまくやってゆくために、皆が守らなければならない「当然のマナーやルール」がありますが、これらのうちの最も初歩的なものについては、私達は親子関係など、生身の人間同士の関わりを通して学び取ってゆきます。学び続けるためには、その手段としてのコミュニケーションを欠くことができませんが、「カマラ」が生涯にわたって覚えた言葉は50種類にも満たなかったそうです。

 人が成熟してゆくためには生身の人間同士の関係から学ぶことが欠かせません。「アマラ」と「カマラ」のケースは、学ぶべき時期に「人間」を学ぶ事ができなかったことによって引き起こされた、悲惨な実例です。

 人間は、人としての遺伝子を持っているだけでは人間にはなれません。人という漢字が示すように、ある時には他から支えられ、別の時には自分が他人を支えながら、自らの意志で、周りの人から学び、世の実際の出来事から学び、歴史から学び続けることによって、「生物としてのヒト」は「社会生活を営む人間」としてのパーソナリティーを、成熟させてゆきます。

 皆さんが仲間達と一緒に本校で学ぶことの真の意味がここにあります。先日の体育祭にしても、その成功に向けて企画立案し、準備に関わり、積極的に参加していった皆さんは、人間としてずいぶん大きく成長したことでしょう。

 スポーツに学習に、クラブ活動に、これからも学園生活全般にわたって瑞々しい感性を全開して燃え尽きるほどの積極的な参加を期待しています。

 「少年老い易く学成り難し、一寸(いっすん)の光陰軽んずべからず」という偶成詩で知られる朱熹は、次のような勧学文を残しています。「謂う勿れ、今日学ばずとも来日ありと。謂う勿れ、今年学ばずとも来年ありと。日月逝(ゆ)けり、歳、我と延びず。嗚呼、老いぬる哉。これ誰の愆(あやまち)ぞ」。

2008年5月 2日

体育祭は5月10日です。(雨天時11日)

 今日の午後は体育祭の予行でした。中学女子による華やかな「きんさいよさこい」、高校男女によるキュートな「フォークダンス」、中学男子によるりりしい「組体操」等の練習です。息を合わせようとしていて、好感が持てました。

 放課後も応援団の練習や装飾係の作業が続きます。今日はビデオカメラを持って、放課後の練習・作業の様子を見て回りました。カメラを向けると恥ずかしがる生徒もいます(生徒がいやがったら撮りません)が、多くの生徒たちは、カメラ目線になるか、撮った画像で完成度をチェックしようとするか…「人に観てもらう」ことを強く意識していることが伝わってきます。体育祭は生徒たちにとって、練習の「発表の場」なのだなあ、と実感しています。この気合いで、良い体育祭にしてくれることでしょう。このゴールデンウィークは、体育祭に向けての最後の追い込み期間なので、生徒たちは休日返上で練度を上げるべく励みます。

 

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楽しみですね~。

皆様、ぜひご来校ください!!

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