2022年7月22日

井上大輔さん(平成12年度卒)を紹介します!

今回紹介する井上大輔さん(平成12年度卒、一貫2期生)の

ご職業は海上自衛官です! しかも何と、この3月からは

「護衛艦さざなみ」の艦長を務めるバリバリの幹部自衛官!

(階級は2等海佐。なお前職は「第2護衛隊群司令部幕僚」)

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護衛艦さざなみについてはこちら!(井上さんの名前も出てきます)

さざなみ (護衛艦) - Wikipedia

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画像引用:汎用護衛艦「さざなみ」(DD113) たかなみ…:海上自衛隊護衛艦 写真特集:時事ドットコム (jiji.com)



今回艦長就任のニュースを聞いて、是非OBコーナーに!と

オファーしていたのですが、何とかスケジュールが調整できて

今回こうしてインタビューに答えてくださいました!

特に進路に防衛大学校を考えている人は勉強になりますよ!


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①本校を卒業してから今に至るまでの経緯を教えてください。

高校生の時は、好きな歴史を勉強しようと一般大学の文学部を目指していました。高校3年生の夏、ふとしたことから「自衛隊・防衛大学校」の募集要項を知りました。「防衛大学校(以下、「防大」)」というと、当時は「何となく聞いたことはある」程度の認識でした。広島県には呉や海田市に自衛隊が所在していますが、福山で生まれ育った私には馴染みのない存在でした。

当時の受験は1次試験が9月頃だったと思いますが、受験料も不要ということで、模試の感覚で受験したというのが正直なところです。受験にあたっては、自衛隊広島地方連絡部(現:広島地方協力本部)の懇切丁寧な説明、サポートがありました。

高校の卒業式の朝、合格の連絡をもらったことを覚えています。結果としては、防大の他は、国立大学と私立大学に合格しました。進学にあたっては、非常に悩みましたが、自衛隊が国際的な貢献をしていること、学生の段階から公務員として安定しており勉学に専念できることを考慮し、防大への進学を決めました。当時、防大の学科再編で「人間文化学科」が新設されることになっており、好きな歴史を学べるということも決め手の一つでした。

防大卒業後は、広島県江田島市の幹部候補生学校に入り、さらに1年間勉強と訓練に励みました。候補生学校卒業後、半年間の遠洋練習航海を経て、部隊に配属されました。以後、艦艇を中心に勤務し、現在の「さざなみ艦長」に至ります。


② 大学校ではどんな勉強をしたのか教えてください。

防大では、勉強は一般の大学と同じ勉強をします。1年生の時は文系と理系に分かれ、教養を中心に学びます。2年生で専門学科に分かれ、私は先の「人間文化学科」に入りました。「人間文化学科」では地理歴史を学びました。卒論は現在住んでいる呉市の都市形成について研究しました。卒業時は一般大学と同様、学士を取得します。

防大ではこの他、幹部自衛官となるための教育を受けます。1年生の時は共通要員として陸上、海上、航空をまんべんなく学び、2年生で各自衛隊の要員に分かれます。

2年生以降は、要員ごとの勉強・訓練に励みます。海上要員となり、船舶の航法や関係規則類を学んだり、実際の護衛艦で実習したりしました。「シーマンシップ」を養うために、ヨットを操船したり、カッターと呼ばれる小型のボートを櫂で漕いだりもしました。幹部候補生学校では、さらに専門的に学びます。

現在の海上自衛官としての基礎がここにあります。


③現在のお仕事の内容を教えてください。

広島県呉市を母港とする「護衛艦さざなみ」の艦長として勤務しています。我が国の平和と独立のため、日々我が国周辺海域の警戒監視に従事するとともに、いざという時に迅速適切に対応するための能力を構築する訓練にも欠かさず取り組んでいます。

「さざなみ」には約180名が乗り組んでおり、その指揮官としての重責を感じる日々です。自分の判断が任務の成否に直結することもあり、常に緊張の連続ですが、やりがいを感じています。また、自分たちの活動が安全保障の一翼を担っていることに誇りを感じます。

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④ 今後の夢や目標を教えてください。

現在、非常にありがたいことに、防衛省・自衛隊は国民の皆さんから理解・信頼を頂いています。日々の活動に堅実に取り組み、我が国の平和と独立を維持し、皆さんの安心・安全な生活に貢献できればと思います。

また、コロナ禍で難しいところはありますが、機会があれば福山港に入港し、一般公開で皆さんに見ていただければと思います。


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井上さん、任務でお忙しい中、貴重なお話をいただき

ありがとうございました! 日本の安全保障だけでなく、

世界の平和にも貢献する大変重要なお仕事だと思います。

これからもがんばってください!∠(`・ω・´)

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なお、井上さんからは、これから自分の進路を考えていく

後輩の皆さんに向け、温かいメッセージをいただいています。

最後にそれを紹介して結びに返させていただきますね!

「私は高校卒業式の朝まで想像もしなかった職に就いています。皆さんは可能性の塊です。今思い描いている夢や未来を実現する人もいれば、今は全く考えていない未来となる人もいます。いずれにしても充実した未来とするために、今を大切にしてください。未来は頑張り次第です。
これを読んで自衛隊に興味を持ってくれた方と一緒に働けたら嬉しいです」

2022年6月24日

新田芳士さん(平成3年度卒)から「南極の氷」をいただきました!

今回紹介するのは新田芳士さん(平成3年度卒)! 

現在、海上自衛隊で飛行士(操縦士)をされています!

(階級は3等海佐)

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実はこの度、新田さんから母校である本校に、

「南極の氷」という大変貴重なものを寄贈いただき、

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先日の「近福祭」で披露させていただきました! 

生徒たちも大喜び!+.(・∀・)゚+.゚

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でも、すごいけどなぜそんな物が??」と疑問を持たれる方も

いらっしゃるかと思いますが、というのも実は新田さんは現在、

海上自衛隊の砕氷艦「しらせ」に所属され、任務として

実際に南極に行かれたばかりだからですね!Σ(・ω・)

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ということで、せっかくなので今回、新田さんにインタビューにお答えいただき、

ご自身のお話や南極での体験について、お聞かせいただきました☆

 

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①本校を卒業してから今に至るまでの経緯を教えてください。

高校3年生になるものの将来やりたい仕事や目的もなく、何となく大学受験のために勉強をしていた夏休み、友人とゲームセンターで気晴らしにやったヘリコプターのフライトシュミュレータゲームを数回でクリア。「俺ってヘリのパイロットになれるかも。」との思い込みからヘリコプターパイロットを目指し始めました。

ですが、ヘリのパイロットになる方法を探してはみたものの、すべて高額の費用が必要、かつほとんどが海外です。そんな中、友人の兄が陸上自衛隊のヘリ整備士をやっており、自衛隊に「航空学生」というパイロットコースの募集があることを教えていただき、迷わず応募しました。

「航空学生」は航空自衛隊または海上自衛隊の選択制で、私はヘリコプター希望でしたので海上自衛隊を希望し、学科試験、適性検査、面接、身体検査を何とかクリアし、高校の延長気分で海上自衛隊に入隊しました。

入隊後は、厳しい訓練や慣れない専門的な勉強が多くありましたが、「パイロットになりたい」という思いと、同じ目標を持つ同期にささえられ、入隊から4年後、「パイロット」の資格を取ることができました。

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②今の仕事の内容を教えてください。

自衛隊に入隊して早いもので30年が経過しました。若い頃は他国船舶の監視や潜水艦対処訓練など、いわゆる自衛隊っぽい仕事をしてきましたが、10年ほど前から南極関連の仕事をする機会が増えてきました。

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現在は、海上自衛隊砕氷艦「しらせ」のヘリコプターのパイロットとして勤務しています。
砕氷艦「しらせ」は、日本で唯一の南極で観測/輸送ができる船で、毎年11月上旬に出国し4月上旬に帰国しています。南極にある日本の観測基地「昭和基地」にはクリスマス頃到着し、2月上旬までの約2カ月間の間に基地建設/補修及び観測を実施しています。南極にはほとんど道路がないため、移動のほとんどはヘリコプターを使用しており、そのヘリコプターの運航計画の立案、ヘリの操縦が私の仕事です。

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南極飛行業務は大きく分けて2種類。「物資空輸」と「野外観測支援」です。「物資空輸」は約3トンの物資を搭載して、片道3km程度の距離を朝から夕刻まで往復します。片道の飛行時間は1分から2分。頻繁に離着陸するため、体力的及び精神的に疲れる飛行です。

「野外観測支援」は、観測隊員を希望の場所に運ぶことですが、ほとんどが岩場や斜面なので着陸するのが難しく神経を使います。特に初めての場所は詳細な地図が整備されておらず、現場で着陸の可否判断が必要となり経験と高い技術が要求されます。

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南極飛行の大変さは、天候予察が難しいことです。国内と異なり、気象の観測地点が少ないため気象予報精度は低く、晴れ予報で離陸したにも関わらず、船に戻ってきた時は吹雪なんてことが時々あり肝を冷やしたりします。しかし、観測隊からの感謝の言葉やお手紙をもらうと「もっと頑張ろう」とやる気がわいてきます。

令和3年度の南極行動は、令和2年度がコロナの影響で人員が縮小され、機材メンテナンスができなかったため、ほとんどが観測機材メンテナンスや重力測定や測地などの定常観測でしたが、目玉として「ラングホブデ氷河観測」が行われました。

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海上自衛隊の大型ヘリが氷河上に着陸した経験は過去になく、北海道大学の教授と綿密に調整して無事初着陸することが出来ました。計画から実施まで5年を要しましたが、上司にも恵まれ、反対意見の多い中何とか着陸でき、最高の瞬間を経験させてもらいました。

OBnittasan+.pngその他、「南極に火星と似た場所を探す」という一風変わった調査も行われていました。

 

後輩達へのメッセージをお願いします

・「運も実力のうち」
ゲームセンターの思い込みから始まったパイロット生活。90人入隊してパイロットになれたのは約60人。運動嫌い、勉強嫌いの私がここまで来れたのは、同期の支えと強い運があったからだと思います。
さらに、通算8回も南極に行くことができたのも「運」があったからだと思っています。
自分では「運」だけでここまで来たと思っていますが、同時に「飛びたい、南極行きたい」という強い信念が運を呼び寄せたのかもしれません。

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・「不運」も考え方によっては「幸運」かも
南極で初めての場所に着陸した際、突然右タイヤが地面にめり込み、横転大事故になりかけた事がありました。何とか操縦して危機を脱し船に戻った時、整備員から「傷が入ってる」との報告が。「くっそぉー、やっちまった。」と思いつつ上司に報告すると、「お前運がいいなぁ。ヘリ壊れてないし、まだ飛べるぞ」と。
自分では「不運」だと思っている事でも考え方によっては「幸運」かもしれません。


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新田さん、貴重なお話ありがとうございました! 

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今のお仕事に就くまでの話もそうですが、

ヘリコプターパイロットとしてのお仕事の話も、

南極での体験談も一つ一つが大変興味深く、

わくわくしながら読ませていただきました!(≧▽≦)

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なお、新田さんに寄贈いただいた「南極の氷」は、

まだ大切に保管してありますので、

この後の「中学Fes」や「高校Fes」でも披露したいと思っています。

御来校の際には、ぜひご覧になっていただき、

南極を感じてみてください!(^^)/

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PS

なお、新田さんからは「おまけ」として、

以下のようなメッセージをいただいています。

これはどちらかといえば、「お父さんお母さん世代」の方に

読んでいただきたい内容ですね☆

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(おまけ)
最後に
私には子供が3人(大4、大1、高2)います。中学生くらいまで何度も基地に連れていき、格納庫内のヘリコプターを見せたり、職場を見せたりしていましたが、高校2年頃に達した順に「お父さんの仕事って何なん?」と驚きの質問を受けました。

高校2年生頃になると自分の将来の仕事を意識するのでしょうか。親の仕事を理解してくれることは、親にとっても嬉しい事なので、もしそんな風に聞かれたら、ぜひ答えてあげてください。お子様にとっても、「え、そうなん」と新たな発見があるかもしれません。

2022年2月17日

森田桂介さん(平成12年度卒)を紹介します!

今回紹介するのは森田桂介さん(平成12年度卒)!

三原市出身で、高校時代は寮に入り硬式野球部員として活躍しました!

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現在のお仕事は何と「芸能人」!ということで、

これは面白い話が色々と聞かせていただけそうですね☆

それではさっそく参りましょう!〆(゚▽゚*)


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①本校を卒業してから今に至るまでの経緯を教えてください。


小学校から野球を始めて10年間、野球漬けの毎日でした。
縁が有り、近大福山に進学をしてからも野球を続けていました。
夏の大会も終わり進路を決める時期に「このまま野球を続けるのか!」それとも「新しい事にチャレンジするのか!」と迷う日々の中、ふと学校の図書室に立ち寄った時、目に入ったのが新聞に掲載されていた「劇団員募集」の記事でした。それが私の芸能界への始まりでした。
それから、大阪の劇団に2年ほど所属して、基礎を学んで東京へ。
上京してからは芸能事務所に所属をし芸能活動をしています。

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森田さんが主演する劇。
第27回池袋演劇祭優秀賞受賞作品です!


②今の仕事の内容を教えてください。


現在は、舞台・ 映画・CM等に出演しながら、NHK「おかぁさんといっしょ」のカバーアルバムの歌唱をきっかけに結成された「にゃんたぶぅ」というユニットの『もりちぃ』としても活動しています。

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子供から大人まで楽しめる地域活性化プロジェクトが話題になり、埼玉県知事から任命を受けている【勝手に埼玉応援隊】をはじめ、【埼玉県蓮田市広報大使】【長野県松川町広報大使】【彩の国献血特命大使】、そして、私の出身、広島県三原市の【ふるさと大使】にも任命頂き、数々のお祭りやイベントでのステージに出演させて頂いております。ステージの様子はYouTubeで『にゃんたぶぅ』と検索して頂ければ、見れますので是非ご覧ください!

にゃんたぶぅ - YouTube

また、2021年には『コロナに負けない!エンタメで楽しいを創造する!』を合言葉に『TABoo』と言うユニットを結成し、消防団に所属している私の想いを受けて「 We are FIRE FIGHTERS 〜炎の勇者たち〜」という曲を制作したのをキッカケに、この楽曲が舞台化となり、故・蜷川幸雄さんが指揮をとり続けた”演劇の聖地・彩の国さいたま芸術劇場”で主演・座長としても出演させて頂き、更にDVD化にまでなりました。

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芸能活動の中でも、一日警察署長に任命して頂いた時は、芸能人だなぁと我ながら思っちゃいました(笑)

現在の所属事務所である株式会社アルコグランデのホームページもご覧下さい。

株式会社アルコグランデ トップページ コバトン屋 ゆる玉屋 (arco-g.com)

③今の仕事のやりがいや今後の目標などを教えてください。

やりがいは、皆さんの笑顔を見れる事ですかね。

この数年では色々な様式が変わっていき、心が落ちてる時期もあったと思います。
ですが、世の中に必要なのは笑顔だと私は思います。大袈裟かもしれませんが、皆さんの楽しい時間を作れる様にこれからもエンタメを盛り上げて行きたいと思っています。
そして、いつか広島県福山市でも公演がしたいと切に願っています!!
まだまだ知名度が低いので、全国区になれる様頑張ります!

ちなみに私事ですが、先日結婚したという事は、Yahoo!ニュースで取り上げて頂きました!(笑)

村田綾が第1子となる女児出産 昨年8月に俳優の森田桂介と結婚を発表(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース

 

④高校時代を振り返って

硬式野球部に所属させて頂いていたので、毎日授業と練習の繰り返しでした。
スポーツクラスだったので、一般生徒との交流が少なくて寂しい気持ちも少しありましたが、文化祭や体育祭などで交流するのが楽しみでしたね!

寮生活の思い出は沢山ありますね。
今は新しくなったと聞きましたが 昔は建物も古くて消灯後にトイレに行くのが怖かった記憶があります。
そして火曜日の昼ご飯は確かカレーライスだったと思うのですが、寮生は皆カレーライスが好きだったので、おかわりの取り合いでしたね。
夜も1人では無かったので寂しい気持ちもなく、逆に楽しかった記憶しかありません!

親元を離れて生活すると言うことで、洗濯・掃除などは自分達でしていたので、練習や学校終わりで毎日やっていたお陰で、今は洗濯・掃除が苦ではないです。

そして、集団生活という事もあり、相手を思いやる気持ちも持つことが出来て、現在の芸能活動や社会生活の上でとても役立っています。

 

⑤高校時代の野球部について。

高校時代の硬式野球部での活動は濃い3年間でした。
甲子園出場と言う夢を持ち毎日毎日練習に励みましたが、3年生最後の夏の大会は1回戦敗退でした。
翌日の新聞には『近大福山まさかの一回戦敗退!』という記事が出ていた事を覚えています。

当時の硬式野球部の監督の豊田先生は、野球以外の私生活にも厳しい方で体育教官室にも何度も呼ばれ怒られていました(笑)しかし、そのご指導のお陰で今の自分があると思っていますので今は感謝しかありません。

豊田先生が教員として監督をする最後の大会が私達3年生の最後の夏の大会という事で、テレビ取材がありインタビューされた動画がどこかにあるかもしれなので探してみて下さい。


⑥後輩達に何かメッセージをお願いします。

高校生活の3年間は、長いようで短いです。
あっという間に時間は過ぎて行きますので、今この時間を大切に過ごして欲しいなと思います。学校で出会った友達も!
あの時、もっと勉強しておけばよかった!もっと部活動を頑張っておけばよかった!と思わないように、何事にも一生懸命取り組んで下さい。
そして、感謝の気持ちを忘れずに過ごして下さい。

いつか皆さんと会える日を楽しみにしています!


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ということで、森田さんのインタビュー記事でしたが、

本当に様々な分野で活躍(三原市の「ふるさと大使」も!)

されていて、母校としても大変嬉しく思います。

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これからも世の中にたくさんの笑顔を届けるために

エンタメ業界を盛り上げていってくださいね☆

そして福山公演が決まった暁にはぜひご一報を!(^^)/

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