新田芳士さん(平成3年度卒)から「南極の氷」をいただきました!
今回紹介するのは新田芳士さん(平成3年度卒)!
現在、海上自衛隊で飛行士(操縦士)をされています!
(階級は3等海佐)
実はこの度、新田さんから母校である本校に、
「南極の氷」という大変貴重なものを寄贈いただき、
先日の「近福祭」で披露させていただきました!
生徒たちも大喜び!+.(・∀・)゚+.゚
「でも、すごいけどなぜそんな物が??」と疑問を持たれる方も
いらっしゃるかと思いますが、というのも実は新田さんは現在、
海上自衛隊の砕氷艦「しらせ」に所属され、任務として
実際に南極に行かれたばかりだからですね!Σ(・ω・)
ということで、せっかくなので今回、新田さんにインタビューにお答えいただき、
ご自身のお話や南極での体験について、お聞かせいただきました☆
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①本校を卒業してから今に至るまでの経緯を教えてください。
高校3年生になるものの将来やりたい仕事や目的もなく、何となく大学受験のために勉強をしていた夏休み、友人とゲームセンターで気晴らしにやったヘリコプターのフライトシュミュレータゲームを数回でクリア。「俺ってヘリのパイロットになれるかも。」との思い込みからヘリコプターパイロットを目指し始めました。
ですが、ヘリのパイロットになる方法を探してはみたものの、すべて高額の費用が必要、かつほとんどが海外です。そんな中、友人の兄が陸上自衛隊のヘリ整備士をやっており、自衛隊に「航空学生」というパイロットコースの募集があることを教えていただき、迷わず応募しました。
「航空学生」は航空自衛隊または海上自衛隊の選択制で、私はヘリコプター希望でしたので海上自衛隊を希望し、学科試験、適性検査、面接、身体検査を何とかクリアし、高校の延長気分で海上自衛隊に入隊しました。
入隊後は、厳しい訓練や慣れない専門的な勉強が多くありましたが、「パイロットになりたい」という思いと、同じ目標を持つ同期にささえられ、入隊から4年後、「パイロット」の資格を取ることができました。
②今の仕事の内容を教えてください。
自衛隊に入隊して早いもので30年が経過しました。若い頃は他国船舶の監視や潜水艦対処訓練など、いわゆる自衛隊っぽい仕事をしてきましたが、10年ほど前から南極関連の仕事をする機会が増えてきました。
現在は、海上自衛隊砕氷艦「しらせ」のヘリコプターのパイロットとして勤務しています。
砕氷艦「しらせ」は、日本で唯一の南極で観測/輸送ができる船で、毎年11月上旬に出国し4月上旬に帰国しています。南極にある日本の観測基地「昭和基地」にはクリスマス頃到着し、2月上旬までの約2カ月間の間に基地建設/補修及び観測を実施しています。南極にはほとんど道路がないため、移動のほとんどはヘリコプターを使用しており、そのヘリコプターの運航計画の立案、ヘリの操縦が私の仕事です。
南極飛行業務は大きく分けて2種類。「物資空輸」と「野外観測支援」です。「物資空輸」は約3トンの物資を搭載して、片道3km程度の距離を朝から夕刻まで往復します。片道の飛行時間は1分から2分。頻繁に離着陸するため、体力的及び精神的に疲れる飛行です。
「野外観測支援」は、観測隊員を希望の場所に運ぶことですが、ほとんどが岩場や斜面なので着陸するのが難しく神経を使います。特に初めての場所は詳細な地図が整備されておらず、現場で着陸の可否判断が必要となり経験と高い技術が要求されます。
南極飛行の大変さは、天候予察が難しいことです。国内と異なり、気象の観測地点が少ないため気象予報精度は低く、晴れ予報で離陸したにも関わらず、船に戻ってきた時は吹雪なんてことが時々あり肝を冷やしたりします。しかし、観測隊からの感謝の言葉やお手紙をもらうと「もっと頑張ろう」とやる気がわいてきます。
令和3年度の南極行動は、令和2年度がコロナの影響で人員が縮小され、機材メンテナンスができなかったため、ほとんどが観測機材メンテナンスや重力測定や測地などの定常観測でしたが、目玉として「ラングホブデ氷河観測」が行われました。
海上自衛隊の大型ヘリが氷河上に着陸した経験は過去になく、北海道大学の教授と綿密に調整して無事初着陸することが出来ました。計画から実施まで5年を要しましたが、上司にも恵まれ、反対意見の多い中何とか着陸でき、最高の瞬間を経験させてもらいました。
その他、「南極に火星と似た場所を探す」という一風変わった調査も行われていました。
③後輩達へのメッセージをお願いします。
・「運も実力のうち」
ゲームセンターの思い込みから始まったパイロット生活。90人入隊してパイロットになれたのは約60人。運動嫌い、勉強嫌いの私がここまで来れたのは、同期の支えと強い運があったからだと思います。
さらに、通算8回も南極に行くことができたのも「運」があったからだと思っています。
自分では「運」だけでここまで来たと思っていますが、同時に「飛びたい、南極行きたい」という強い信念が運を呼び寄せたのかもしれません。
・「不運」も考え方によっては「幸運」かも
南極で初めての場所に着陸した際、突然右タイヤが地面にめり込み、横転大事故になりかけた事がありました。何とか操縦して危機を脱し船に戻った時、整備員から「傷が入ってる」との報告が。「くっそぉー、やっちまった。」と思いつつ上司に報告すると、「お前運がいいなぁ。ヘリ壊れてないし、まだ飛べるぞ」と。
自分では「不運」だと思っている事でも考え方によっては「幸運」かもしれません。
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新田さん、貴重なお話ありがとうございました!
今のお仕事に就くまでの話もそうですが、
ヘリコプターパイロットとしてのお仕事の話も、
南極での体験談も一つ一つが大変興味深く、
わくわくしながら読ませていただきました!(≧▽≦)
なお、新田さんに寄贈いただいた「南極の氷」は、
まだ大切に保管してありますので、
この後の「中学Fes」や「高校Fes」でも披露したいと思っています。
御来校の際には、ぜひご覧になっていただき、
南極を感じてみてください!(^^)/
PS
なお、新田さんからは「おまけ」として、
以下のようなメッセージをいただいています。
これはどちらかといえば、「お父さんお母さん世代」の方に
読んでいただきたい内容ですね☆
(おまけ)
最後に
私には子供が3人(大4、大1、高2)います。中学生くらいまで何度も基地に連れていき、格納庫内のヘリコプターを見せたり、職場を見せたりしていましたが、高校2年頃に達した順に「お父さんの仕事って何なん?」と驚きの質問を受けました。
高校2年生頃になると自分の将来の仕事を意識するのでしょうか。親の仕事を理解してくれることは、親にとっても嬉しい事なので、もしそんな風に聞かれたら、ぜひ答えてあげてください。お子様にとっても、「え、そうなん」と新たな発見があるかもしれません。