【中高一貫コース】アーカイブ

2022年7月22日

井上大輔さん(平成12年度卒)を紹介します!

今回紹介する井上大輔さん(平成12年度卒、一貫2期生)の

ご職業は海上自衛官です! しかも何と、この3月からは

「護衛艦さざなみ」の艦長を務めるバリバリの幹部自衛官!

(階級は2等海佐。なお前職は「第2護衛隊群司令部幕僚」)

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護衛艦さざなみについてはこちら!(井上さんの名前も出てきます)

さざなみ (護衛艦) - Wikipedia

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画像引用:汎用護衛艦「さざなみ」(DD113) たかなみ…:海上自衛隊護衛艦 写真特集:時事ドットコム (jiji.com)



今回艦長就任のニュースを聞いて、是非OBコーナーに!と

オファーしていたのですが、何とかスケジュールが調整できて

今回こうしてインタビューに答えてくださいました!

特に進路に防衛大学校を考えている人は勉強になりますよ!


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①本校を卒業してから今に至るまでの経緯を教えてください。

高校生の時は、好きな歴史を勉強しようと一般大学の文学部を目指していました。高校3年生の夏、ふとしたことから「自衛隊・防衛大学校」の募集要項を知りました。「防衛大学校(以下、「防大」)」というと、当時は「何となく聞いたことはある」程度の認識でした。広島県には呉や海田市に自衛隊が所在していますが、福山で生まれ育った私には馴染みのない存在でした。

当時の受験は1次試験が9月頃だったと思いますが、受験料も不要ということで、模試の感覚で受験したというのが正直なところです。受験にあたっては、自衛隊広島地方連絡部(現:広島地方協力本部)の懇切丁寧な説明、サポートがありました。

高校の卒業式の朝、合格の連絡をもらったことを覚えています。結果としては、防大の他は、国立大学と私立大学に合格しました。進学にあたっては、非常に悩みましたが、自衛隊が国際的な貢献をしていること、学生の段階から公務員として安定しており勉学に専念できることを考慮し、防大への進学を決めました。当時、防大の学科再編で「人間文化学科」が新設されることになっており、好きな歴史を学べるということも決め手の一つでした。

防大卒業後は、広島県江田島市の幹部候補生学校に入り、さらに1年間勉強と訓練に励みました。候補生学校卒業後、半年間の遠洋練習航海を経て、部隊に配属されました。以後、艦艇を中心に勤務し、現在の「さざなみ艦長」に至ります。


② 大学校ではどんな勉強をしたのか教えてください。

防大では、勉強は一般の大学と同じ勉強をします。1年生の時は文系と理系に分かれ、教養を中心に学びます。2年生で専門学科に分かれ、私は先の「人間文化学科」に入りました。「人間文化学科」では地理歴史を学びました。卒論は現在住んでいる呉市の都市形成について研究しました。卒業時は一般大学と同様、学士を取得します。

防大ではこの他、幹部自衛官となるための教育を受けます。1年生の時は共通要員として陸上、海上、航空をまんべんなく学び、2年生で各自衛隊の要員に分かれます。

2年生以降は、要員ごとの勉強・訓練に励みます。海上要員となり、船舶の航法や関係規則類を学んだり、実際の護衛艦で実習したりしました。「シーマンシップ」を養うために、ヨットを操船したり、カッターと呼ばれる小型のボートを櫂で漕いだりもしました。幹部候補生学校では、さらに専門的に学びます。

現在の海上自衛官としての基礎がここにあります。


③現在のお仕事の内容を教えてください。

広島県呉市を母港とする「護衛艦さざなみ」の艦長として勤務しています。我が国の平和と独立のため、日々我が国周辺海域の警戒監視に従事するとともに、いざという時に迅速適切に対応するための能力を構築する訓練にも欠かさず取り組んでいます。

「さざなみ」には約180名が乗り組んでおり、その指揮官としての重責を感じる日々です。自分の判断が任務の成否に直結することもあり、常に緊張の連続ですが、やりがいを感じています。また、自分たちの活動が安全保障の一翼を担っていることに誇りを感じます。

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④ 今後の夢や目標を教えてください。

現在、非常にありがたいことに、防衛省・自衛隊は国民の皆さんから理解・信頼を頂いています。日々の活動に堅実に取り組み、我が国の平和と独立を維持し、皆さんの安心・安全な生活に貢献できればと思います。

また、コロナ禍で難しいところはありますが、機会があれば福山港に入港し、一般公開で皆さんに見ていただければと思います。


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井上さん、任務でお忙しい中、貴重なお話をいただき

ありがとうございました! 日本の安全保障だけでなく、

世界の平和にも貢献する大変重要なお仕事だと思います。

これからもがんばってください!∠(`・ω・´)

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なお、井上さんからは、これから自分の進路を考えていく

後輩の皆さんに向け、温かいメッセージをいただいています。

最後にそれを紹介して結びに返させていただきますね!

「私は高校卒業式の朝まで想像もしなかった職に就いています。皆さんは可能性の塊です。今思い描いている夢や未来を実現する人もいれば、今は全く考えていない未来となる人もいます。いずれにしても充実した未来とするために、今を大切にしてください。未来は頑張り次第です。
これを読んで自衛隊に興味を持ってくれた方と一緒に働けたら嬉しいです」

2021年12月10日

河田耀さん(平成28年度卒)を紹介します!

今回紹介するのは河田耀(ひかる)さん(平成28年度卒)!

河田さんは中高一貫の18期生として本校を卒業後は、

大阪大学の外国語学部に進み、現在4年生です!

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今回、河田さんに登場してもらうことにしたのは

海外留学の体験を語ってもらいたかったから!

しかも河田さんが専攻しているのはなかなかレアな

スウェーデン語!もちろん留学先もスウェーデンです。

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以下、スウェーデンの写真はフリー素材を使用


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日本からは飛行機で約11時間と、はるか遠くにある

北欧の国で河田さんがどんな経験をしてきたのか……

それでは河田さんに寄稿してもらった内容を

お読みください!〆(゚▽゚*)

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①本校を卒業してから今に至るまでの経緯を教えてください。

2017年3月に中高一貫コースを卒業した私は、大阪大学外国語学部外国語学科スウェーデン語専攻に進学しました。
私がこの自己紹介をすると、決まって「スウェーデン語…?何で??というかそんな言語あるんだ」という反応を頂きます(笑)

そんなマイナー言語であるスウェーデン語を私が専攻したいと思ったきっかけは、テレビで見た「幸せの国スウェーデン」という言葉が始まりです。
聞けばこの国、教育費は無料、子どもの医療費も無料、貯金しなくても老後は気ままに暮らせるといった充実した福祉制度に、超透明な民主主義体制まで整っている。でもその代わり税金がべらぼうに高いという、日本とは全く違った社会の姿に魅了されました。
同時に、本当にスウェーデンの人々は皆幸せなのか、税金が高すぎることに不満はないのかという疑問も抱き、そして当時の私は言語が分かればそれらの疑問を解消できるのではないか、実際にスウェーデンに暮らす人々の考えが分かるのではないかと思って、日本で唯一スウェーデン語を専攻できる大阪大学外国語学部を目指すことにしました。

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大学入学後は、勉強の傍ら飲食店でのアルバイトやサークルでのボランティア活動など、中学高校時代に経験できなかったことへと没頭していました。そして3年次に大学を1年間休学し、念願だったスウェーデンへの留学を実現させることができました。
新型コロナウイルスの蔓延によってスウェーデンも多大な影響を受け、残念ながら八か月での帰国となってしまいましたが、その八か月間は今までの人生で最も刺激的で忘れられない時間となりました。
そして帰国後は、スウェーデン留学で磨いた語学力を駆使しながら、スウェーデンの障がい者福祉支援をテーマに卒業論文を執筆することに勤しんでいます。


②大学で勉強している内容を教えてください。

私が所属するスウェーデン語専攻では、1・2年次に週5コマの専攻語の授業を受けることで基礎的な語学力を磨いていきます。そして言語の習得と同時に、文化、歴史、社会といったあらゆる側面からスウェーデンという国を理解するための授業を2年次から履修することができます。単に語学だけを学ぶのではなく、スウェーデンの様々な学術的知識を得られるという点で、私にとっては最高の学習環境だと感じています。
さらに、大阪大学外国語学部では25の専攻語の他にも、多数のマイナーな言語を学ぶことも可能です。(私はこの夏フィンランド語を取りました)

3年次からは、社会、言語、歴史、文学の四つのゼミナールの中で、自分が最も関心のある分野を選び、卒業論文執筆に向けた自身の研究を進めていきます。私は社会ゼミを選択し、以前から関心を持っていた障がい者への福祉支援について学びを深めました。また、より福祉についての知識を深めたいという思いから、大学の他学部の講義を受講するプログラムにも参加しました。


③留学についての思い出、学んだことなどを教えてください。

私の留学生活を一言で表すならば、「他人の人生を歩んでいるような八か月間」が一番しっくりきます。とにかく毎日が新しいことや驚きで溢れ、今でも夢だったんじゃないかと思うくらいです(笑)

私の留学は一般的な大学や語学学校へのものではなく、現地の人々が通う国民高等学校(フォルクフーグスコーラ)という成人教育機関への留学でした。
国民高等学校は、何か新しい技能を身につけたい人や、高校にあまり通うことができず勉強をやり直したい人、移民としてスウェーデンへやって来て語学を学ぶ人など、とにかく様々な人が学ぶことができる自由度の高い学校です。私は大学や語学学校ではなく、あえてこの国民高等学校を選びました。それは、スウェーデン語を学ぶきっかけでもあった、現地の人々の暮らしや考えを実際にその環境に身を置いて知りたいと考えていたためです。

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スウェーデンの伝統料理。内容は日本でいうハンバーグ、
リンゴンベリージャム、マッシュポテト、バターソース


留学中は、「とにかくやってみる」というスタンスで怒涛の毎日を過ごしました。大学を休学しての留学だったので、留学先の学校とのやり取りやビザの取得、寮の交渉や航空券の手配など、すべて自分一人で行わなければなりませんでした(もちろんスウェーデン語で!)。

そしてスウェーデン人しかいない、言うまでもなく日本語は通じない環境に、たった一人身を置くこととなりました。初めは周囲の人たちが何を言っているのかよくわからなかったですし、日本とは異なる文化の中で生活していくのがやっとでした。しかし、心優しいクラスメートたちや先生に恵まれたおかげで、日に日にスウェーデンという国に慣れることができ、結果としてとても充実した八か月間を過ごすことができました。

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先生の家に招かれた時の写真です


ちなみに学校では服飾コースに通い、洋裁やデザイン、繊維などについて学んでいました。もともとそのような知識があったかと言えば、まったくそんなことはなく(笑) ど素人の状態でスウェーデンに行き、いきなり服のパターンを描いたり、ミシンを使って衣服を縫ったりといった授業をスウェーデン語で受けていました。
今思えばよくそんな未知の世界に(しかも二つ同時に)身を投じたなと思いますが、これもいい思い出です。帰国時には自分の寸法で作ったコートやシャツ、スカートなどをスーツケースに詰めて持ち帰り、今でも時々着ています。

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自作のコート。現在も頻繁に着ているとのこと


スウェーデン留学を通して学んだことはたくさんありますが、今後の人生に活きると思うのは「世界は広い」ということと、「当たり前と思っている価値観にとらわれない」という考え方です。

たった八か月間異国の地に一人で暮らすという経験であっても、嫌というほど自分の無力さや知らないことの多さを実感しました。しかし、その経験をしたからこそ、より成長したい、新しいことを学びたいという思いを持つことの大切さを学ぶことができました。

また、様々な人との交流を通して、自分が正しい・当たり前だと思っていることもほんの一握りの考え方に過ぎないということを感じました。他に目を向けてみれば、自分のものよりももっと合理的な考えもあるし、それを選択するかしないかは自分次第なのだと、慣れ親しんだ日本を離れて初めて気付くことができました。複数の選択肢を知った上で自分に合ったものを選択できるって本当に幸せなことだと思います。だからこそ、今後も色々なものに目を向け、自分の選択肢を増やしていけるような生き方をしていきたいです。

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コペンハーゲンでの研修にて


④今後の夢や目標などを教えてください。

「常に目標や目的を持って成長し続ける」存在でありたいと思っています。そしてそれが、自分だけでなく社会や周囲の人々のためになるものであるよう願っています。来年から新社会人として働くこととなっています。今までは多くの人たちから支えていただくだけの存在でしたが、今後は自分自身の働きで誰かを支えられるように、それに必要な努力をし続けられる人間であることを目標としたいです。


⑤後輩たちに何かメッセージをお願いします。

たった二十年と少しの経験内で語るのはおこがましいのですが、私が今までやってきてよかったと思うことをご紹介します。

⑴自分で考えて自分で選択すること

人生の中で、人は大なり小なり選択をする機会が山のようにあります。その中でも、「自分」のことに関しては自分で決める癖をつけたほうが、より人生が豊かになると思います。例えば私の場合、留学に行くことも、あえて外国人の全くいない環境を選択したのも自分です。寒く暗い冬の時期、心が折れそうになったこともありましたが、それでも全く後悔していないのは、自分が強く望み、選んだことだからです。
誰かに決められたことや、あまり深く考えずに何となく決めたことって、長続きしなかったり後悔したりすることが多いのではないかと思います。でも、自分の人生は自分のもので、たった一回しかありません。その貴重な人生を、自分の選択の中で生きた方が幸せではないでしょうか。中学・高校生の皆さんは勉強や部活、進路のことについて悩むこともあるかと思います。思う存分悩んでください。きっと自分で悩みに悩んだのち選択した方が、あなたにとってより満足度の高い人生となると思います。

⑵失敗を恐れないこと

私は言語を学んでいますが、言語の習得に失敗は欠かせません。間違った語法や発音を失敗によって自覚するからこそ、正しい使い方を習得できます。
人間が失敗するのは当然です。その失敗から学ぶことってたくさんあるはずです。失敗が怖いからと何の行動にも出ない人は、きっと成功することも、新たな学びを得ることもできません。そして、失敗するなら若ければ若いほどいいですよね。だってその先がより長くなるんですから。中学・高校生のうちに失敗しても、それを正してくれる人やカバーしてくれる人が周りにたくさんいます。しかし、大人になるとそれをしてくれる人は少ないです。だから、もし今何か挑戦してみたいことがあればどんどんやってみてください。きっと周りの人たちはあなたをサポートしてくれますし、あなた自身も何かしらの収穫があるはずです。
一度きりの人生、やりたいことをやり切ってみることも人生を豊かにするエッセンスだと思います。


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河田さん、ありがとうございました! (´▽`*)

コロナ禍で期間が短くなったのは残念でしたが、

本当に素晴らしい体験をしてきたんですね☆

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スウェーデン北端のルーレオの街の風景。
実はこれ、凍った海の上だとか!Σ(・ω・)

 

現在まだまだ世界中でコロナは猛威を振るっており、

広い世界に羽ばたきたい!という夢を持っている

若者たちには何かと厳しい風が吹いているのですが、

でもそんな中だからこそ夢を諦めないで欲しいと思い、

大学卒業に向けレポート作成などで忙しい中、

河田さんには無理を言って登場してもらいました。

 

なお、河田さんはすでに個人年金や終身保険などを

主に扱う企業への就職を決めているそうなのですが、

これも福祉国家であるスウェーデンについて学ぶ中で

ますます高齢化問題が深刻になっていく日本社会に

貢献できるような仕事がしたいと考えたからだとか。

 

留学で学んだことがしっかりいきていて素敵ですね☆

春から始まる社会人生活、がんばってください!

今後のますますのご活躍を応援しています!(^^)/

2021年10月22日

竹山誠さん(平成20年度卒)を紹介します!

今回紹介するのは竹山誠さん(平成20年度卒)!

竹山さんは中高一貫の10期生として本校を卒業後は、

長崎大学の医学部に進み、現在は東京都の

「JCHO東京新宿メディカルセンター」

循環器内科医として勤務されています!

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今回、医師としての激務の中にも関わらず、

当コーナーへの出演依頼を快諾してくれました!

最前線で活躍する現役の若手医師さんによる

貴重な体験談の数々、医学部希望者はもちろん、

広く医療方面に興味のある在校生の皆さん

ぜひ読んで欲しいと思っています☆


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①本校を卒業してから今の仕事につくまでの経緯を教えてください。

近大福山を卒業し、長崎大学に入学して医学部で6年間勉強しました。
6年生の時にはオランダのライデン大学に留学に行かせてもらいました。ライデン大学では元々興味のあった循環器内科に配属させていただき、当時世界最先端の医療を経験する事ができました。日本ではつい最近始まった治療が既に数多く行われていました。ここでの経験は本当に刺激的で、循環器内科を志望するきっかけになりました。

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大学6年のオランダ留学


長崎大学を卒業した後は、自分で研修する病院を選ぶ事になりますが、全国の色々な所から志高い医師が集まってくるであろう東京で病院を探すことにしました。10カ所くらいの病院を見学に行き、一番勉強できそうだと感じた今の病院(JCHO東京新宿メディカルセンター)に研修医として就職しました。2年間の研修を終え循環器内科に進みました。

 

②今の仕事の内容を教えてください。

循環器内科では、心筋梗塞や狭心症などの虚血性心疾患や不整脈、心不全などの疾患を主に担当します。
心筋梗塞という病気は、まさに一刻を争う病気です。心臓の血管が動脈硬化のせいで詰まってしまい、詰まった先の筋肉が壊死(心臓の筋肉が死んでしまうこと)してしまう病気です。

"Time is muscle"という言葉があるくらい、1秒治療が遅れる毎に膨大な数の心筋組織が死んでいき、後遺症になるのはもちろん、傷んだ細胞から心臓が止まる不整脈が出て突然死する事もあります。

それを防ぐために、救急隊が「心筋梗塞が疑われる患者さん」と判断するとそれ用のホットラインが鳴り、24時間いつでも僕たち循環器内科医が呼ばれて緊急で検査、治療を行います。

医療の進歩により、カテーテル治療という手や足の血管から心臓へ管を通して詰まった血管を広げる治療で救命できる患者さんが増えていますが、心筋梗塞によって壊死してしまった部分は後遺症としてその後の患者さんの心不全(心臓の力が弱いために肺に水が溜まり呼吸困難の症状が出る病気)に繋がるなど、その後の人生に大きな影響を与えます。

その他にも不整脈を止めるカテーテル治療やペースメーカー手術、心不全の患者さんの強心剤や人工呼吸器を使った治療など、治療する疾患は多岐に渡ります。

そうした患者さんの入院の管理や外来での診療、そして当直の勤務などがあり、その合間で学会発表の準備などをする事になります。

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診察風景のイメージ(患者役は同僚の方です)


忙しくないと言えば嘘になりますが、もちろん休みもあって、休日は東京ドームや神宮球場にカープを見に行くこともできますし、なにしろ東京なのでとにかく娯楽にも困ることはなく、充実した毎日を過ごしています。

 

③今の仕事のやりがいや今後の目標などを教えてください。

今年医師7年目になり、少しずつですが色々な仕事を任せてもらえるようになりました。心筋梗塞や狭心症のステント治療やペースメーカー手術の執刀を任せてもらえることも多くなり、心不全や不整脈で入院した患者さんの入院治療やその後の外来診療を任せてもらい責任の重さも感じますが、何よりやりがいを感じます。また、日々の臨床の傍らで、珍しい症例の報告や疾患についての研究成果の発表などを学会や研究会でさせてもらっています。

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初めての学会発表


少しずつできることが多くなってきていますが、循環器のどの分野も極めきることができない匠の世界でもあり、自分にはできない技術が沢山あり、そして毎年のように新たな技術やマスターすべき新治療が出てきます。

心筋梗塞を例にとると、心筋梗塞を起こした心臓の血管に最終的に2.25mm〜4.0mmのステントを入れ、血流を改善させるために数十個以上の工程があり、その工程一つ一つに使う器具や技術が毎年のように論文や学会で発表され、世界中の循環器内科医が日々競って技術を磨いています。心筋梗塞以外のあらゆる細分化された分野でも同様に、目覚しいスピードで治療技術が進化しています。

それらを今後日々習得していき、より多くの患者さんの命を救うことを目指し、日々精進していきたいと思います。

 

④後輩達に何かメッセージをお願いします。

医師を志している方、医療の世界に興味がある方もいらっしゃるでしょうか。

医学はおもしろいです。勉強すればするほど、人間の生命を維持する仕組みの複雑さに驚かされ、また、まだわからない事だらけであることにも驚かされます。そして医学の進歩の速さにも驚かされます。10年前の医学の常識とされていた事の中には現在は真逆の治療が正しいとされている事も数多くあり、そして現在も日々様々な臨床試験が世界中で発表され、病気の予後を改善させる治療が少しずつ、そして確実に進化していっています。

今後もiPSによる再生医療でさらにできる治療も増えていくと思われますし、ノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑先生で有名になった免疫チェックポイント阻害薬によるがん治療も急速な進歩を続けています。

心臓の領域でも、今まで外科手術で胸を大きくメスで開かないとできなかった弁膜症の手術がカテーテルで治療できるようになってきていますし、心臓・足・首の狭い血管を詰まる前にカテーテルで治療できる技術が発展しています。不整脈もカテーテルで治療ができるようになっていますし、心不全の薬も画期的な新薬が次々と日本でも使えるようになっています。そして、それらはおそらく10年20年後には古い治療となり、更に医学は進歩し続ける事でしょう。

そんな目まぐるしい進歩を見せる医学の力を持ってしても、全ての人間はいつか死んでしまいます。医師になって7年間ですが、これまで担当させていただいた患者様で残念ながら亡くなってしまった方も数多くいらっしゃいました。漫画の『ブラックジャック』の中で、主人公ブラックジャックの師である本間先生が、「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね・・・」と言うシーンがありましたが、医学はこれ程までに進化しても、無力でもあるのです。

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出典:『手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL
https://tezukaosamu.net/jp/character/288.html


そして生命の自然の摂理に抗おうとするこの無力な医学は、一生勉強する意義のある分野だと僕は思っています。この勉強を通して、僕たち医療者は全ての患者さんから多くの事を学びます。医学は命と向き合う学問であり、だからこそ魅力的であり、一生勉強するべき学問だと思います。

みなさんの中にも医学の道を選んでくれる人がいると嬉しいです。いつか一緒に働けたら嬉しいです。

 

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……とここまででも、竹山さんの医学への熱い想い

感じられる素晴らしい内容だったのですが、

実は今回竹山さんにぜひにと無理を言って出演して

もらったのは、竹山さんがコロナ禍のただ中にあった

東京都新宿で医療従事者として奮闘されていたから! 

以下、とても貴重な現場での体験談です!

 

⑤今回の「コロナ禍」の体験をお願いします。

2021年10月現在、当院では700人以上のコロナの入院患者さんを治療してきました。2020年3月上旬頃から、当院でもコロナの発熱の患者さんを調べるとPCRが陽性となる人が出るようになりました。また、3月下旬に羽田空港で検疫が始まった際には、前日に東京都から急遽派遣の要請が来て僕も派遣されることになりました。ヨーロッパやアメリカなどの海外からの渡航者のPCR検査を300〜400人程度行い、連日数人の陽性が判明し徐々に国内でも変異株の報道が出始めるようになりました。

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羽田での検疫業務


そして2020年4月からは当院でもコロナ患者さん専用の病棟を作る事が決まりました。病棟を1つ(今では2つ)コロナ専用にする必要があるため、別の病棟に患者さんに移っていただき、待てる検査や手術の目的の入院を制限する所から始まりました。コロナの入院患者さんでは、肺の専門の先生を中心に内科医で(ピーク時で人手が必要な時は外科系の先生も)チームを作り、数週ずつ交代で担当していきました。

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コロナワクチン医療者の先行接種


デルタ株が蔓延してからは、若年、中高年でも人工呼吸器やECMOが必要となったり、全く持病のない若者でも酸素投与や点滴治療が必要な中等度に至る例も数多く経験しました。 ベッドは満床にも関わらず中等症以上の患者さんが入院し、ほとんどの人が酸素の吸入や点滴治療を受ける状況であるため、早めに退院できる人が少なく余計ベッドが空かず、重症でも入院先が見つからない人が多く見られることとなりました。持病のない方が急激な悪化の末、亡くなる例や、重症化し重篤な後遺症が残る例も経験しました。

ピーク時には都内の多くの病院で院内感染が次々と起こり、救急の受け入れがストップとなりました。当院では2病棟分、約60ベッドにまで拡大しましたが常に満床で、退院した人数だけ入院が入るという状態が続きました。満床の場合でも救急車の受け入れ要請の電話は鳴り続け、満床の場合は断り続けなければならない、といった日々が続きました。ほとんどの救急車は何十件と断られていて、患者さんは何時間も救急車内で待機している状態でした。当院まで2時間くらいかかる都外から搬送依頼が来る例も出てきました。

命に関わるような心筋梗塞や脳梗塞のような患者さんでも受け入れ先が見つかるまで時間がかかる例が相次ぎました。通常心筋梗塞患者さんは一番近くの病院に運び、1秒でも早く治療するのが基本ですが、当院にも心筋梗塞の患者さんが1時間程度かけて運び込まれる例が何例もありました。無事救命はできたものの’Time is muscle’である心筋梗塞にとって治療までの時間が長くかかり、大きな後遺症を残すことになった患者さんもいました。

患者さんの中には、家族や大切な友人に移してしまって後悔を漏らす患者さんもいらっしゃいました。中には自分は軽傷ですぐ退院できる中、移してしまった家族が重症化してしまった方の落胆している様子は忘れられません。

2021年10月現在は第5波が安定化の兆しを見せていますが、ピーク時にはこうした医療崩壊を経験し、コロナの怖さを実感しました。

そしてそれ以上に感染爆発が生じた時の医療業界のシステムが脆弱であること、そして社会全体がここまで大混乱に陥り、どのニュースを見ても批判に満ちた報道だらけになっている状態を目の当たりにして大きなショックを受けました。

これから完全にコロナが収束するまでに、どれだけの時間がかかるかは分かりませんが、医学界、そして社会全体に残された課題は山積みで、今後向き合っていく必要があります。

僕自身としても、自分ができることは何かを考えながら行動し、今後の仕事に打ち込んでいきたいと考えています。

 

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……いかがでしたでしょうか? ニュースなどでは

見聞きしていたコロナ禍の東京で一体何が起こっていたのか……

私も竹山さんの報告を読みながら、

改めて新型コロナ感染症の恐ろしさが身に染みると共に、

そんな恐るべき感染症に必死に立ち向かい続けた

医療従事者の方々にただただ頭が下がる思いです。

 

竹山さん、今回は貴重な体験談をお寄せいただき

本当にありがとうございました!(^^)/

まだまだハードな日々が続くとは思いますが、

今後のますますのご活躍を心から応援しています。

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なお、竹山さんからは、今回のコロナ禍に関連して

在校生のみなさんにこんなメッセージもいただいて

いますので、最後に紹介します

「皆さんもコロナ禍で、思い描いていたような学生生活とは行かなかった部分もあったかも知れません。しかし、いつの日かコロナに打ち勝ち、新しい日々が始まることでしょう。
皆さんがこの特別なコロナ禍での学生生活で経験したこと、そして夢に向かって努力したことが実を結ぶことを祈っています」

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